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From New Zealand 2007年7月,ニュージーランドへ移住してきました。ニュージーランドでの日常生活についてつづります。

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英文書き下ろし(わたしのネタ探し法)

わたしのいちばんの売りは,英文はすべて書き下ろしという点なのですが,出版社に「ネタ尽きないですか?」と聞かれる。

素材文執筆は,今,1作150語程度から1000語以上まで,ダイアローグ,論説文,小咄,小説まで幅広くある。
わたし1人で全部は無理だし,スタイルや話題も偏るので,今は日本人スタッフ1人とネイティブスタッフ1人にたたき台をお願いしている。

わたし自身のネタ集めは3通り。
とは言いつつ,こんな話題に共感する人は滅多にいないが,ある意味,新聞や雑誌のライターと似ているかも知れない。

1.普段の生活から「ネタ帳」へ貯める

オーソドックスだが,アイデアが浮かぶたびにテーマをメモる。
例えば,昔よくアメリカに行ったんだけど,ついこの前いきなり思い出したのが,ボストンの公園で明らかにアジア人のわたしに白人が道を聞いてきたという経験。
よし,今度,それを膨らまして文化の違い,そしてボストンでの話を書いてみよう。
っとまあ,そんな調子で増やしていく。

ちなみに,芸人は,おもろいネタが浮かんだら,ネタ帳に書き留める。
枕の下にもネタ帳を入れたりするらしい。
わたしも夜布団に入って思いついたら,起きて書き留める。
でも,枕の下にまで置かない。そりゃあ,寝られんわ。
作曲家はメロディーが浮かんだらすぐ,携帯の録音機能とかに歌って録音するらしい。
彼らといっしょである。
アイデアが浮かびやすいのは,自宅ではなく,旅行中など気分的に余裕があるとき,視野が広いときである。
日本(東京)にいたときと比べて,ニュージーランドにきてからのほうが視野が広がって,アイデアが出るのは言うまでもない。

2.教科書から話題転換

通年ものであれば,素材内容が教科書で習ったばかりの話題に少しでも関係があったら,ユーザーに喜ばれる。
今日のパターン。
ある教科書で,自由の女神はフランスからアメリカへ友好の印に送られたという話がある。
そこで,symbol of friendshipとGoogleで検索すると,出るわ出るわという訳です。
中学生対象なので,難しいことは書けません。
今日は対話文でしたが,1912年に日本がアメリカに桜の木を送った話を書いてみた。

ネットのいいところは,英文情報で事実関係が調べられること。
このパターンで書くようになってから,情報を少しでも早く収集するために,英文「速読力」が時間短縮につながると実感した。

3.入試問題に対抗

あまりしないが,過去問も1つの手段だ。
わたしは「入試の過去問をリライト」することはないが,入試の傾向はもちろん見るし,全県の素材を読んで,わたしならそういう風に書かないなあ,と思ったテーマを拾って自己流に書いてみたりする。
「あまのじゃく」と呼んでください。(昔からです)

でもそのおかげか,出版社からは「も~さんの素材文は入試よりもおもしろいです」と言っていただける。
少し前までは,仕事=やりがいだったが,でも,こんなありがたい言葉をいただくためだけにこの仕事をしているわけではない…とも感じ始めた。ごく最近。
基本的にアイデアのアウトプットが好きなのかも知れない。
仕事が好きでしょうがない人は,たまにどん底に落ちてしまうけど,好きなことが仕事につながると捉えたら,それはやっぱり「ラッキー」と思う。
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ようやく会社設立!


IWC NEW ZEALAND Ltd.

が発足しました!

と言いましても,登録したのはもう数ヶ月前のこと。
夫がその後もあーだこーだとがんばってくれました。
なんせニュージーランドでわたしのような事業形態は前例があまり無く,情報も税理士も大変なようです。

東京にいるときもちょっと動いたことあって,さあ今から立てるぞと言うときに移住が決まってやめたのでした。
そして,いろいろ考えてニュージーランドの会社にすることにしました。

昨日から本格的に公に報告し始めました。
ニュージーランドの会社なので会社名義でニュージーランドの銀行口座を開けるのは容易ですが,どうやら日本の口座を開けるのに苦労して今に至ったようです。

オーナーは夫とわたしの2人のようです。
わたしは,夫に言われるままあちこちにサインをしてるだけです。

あっ,事業拡大とかそんなんではありません。
社員もおらず,夫がpaper workをやってくれて,実際に働くのは今まで通りわたしだけです。
あるニュージーランド人に「That's typical!」と言われました…。
ここでは組織に入ってバリバリ働くよりも自分で仕事をしている人は少なくありません。

そんでもって,一応LIMITEDですけど,そんなたいそうなことでもありません。
ニュージーランドでは簡単に設立できます。
会社登録は夫がインターネットで30分くらいカチャカチャしてたと思ったら「できてもーた!」って声が。
(いやあ,人生ゲームやないんやから…)
設立費用も当時のレートで1万円くらいだったらしいです。
小さい国ほどこういう部分は発達しているのかも知れないですね。

まだまだ問題山積みで順調にスタートできるか不安ですが,今後も応援よろしくお願いします。

本の購入

ニュージーランド来てから困ったことの1つに,本の購入がある。
わたしの場合,ほとんどが仕事がらみの本になるが,ネットでは中身が見られないのが痛い。
結局,本屋で立ち読みできないので,人気やみんなの批評を見て買うことになる。

今やネットで簡単に,中古なんかすごい安くで買えるけど,アマゾンで日本からここ自宅に送っても,海外発送料に加えて,1冊ずつに手数料がかかったりするので,冊数が多いほど高くつく。

もちろんニュージーランドにはアマゾンがないので,日本かイギリス,アメリカからの海外発送となる。
ちなみに,そのなかでも,日本からの発送はピカイチで速い。
だから,アマゾンで買うときは,日数と,ドル・円のレートのバランスを見て,どこから買うか考える。

例えば,下の教材とCD,洋書はイギリスアマゾンから購入。
ちなみに,下の教材はケンブリッジ英検の試験問題集だが,個人的にこの試験は,今のところほかのどの英語試験よりも優れていると思っている。
早速中学英語にメソッドを反映している。

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2冊の和書で,日本のアマゾンから購入した。

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逆に,ニュージーランドでの良い面は,シンプルに,日本では高価な洋書が,ここでは本屋で普通に買えることだろうか。
例えば,下の本はここ現地の本屋で買った。
右2冊はニュージーランドオリジナルの教科書だが,ここで売られている教材はだいたいがイギリスのもの。

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中央前後にある2冊は,子供用の辞書とシソーラスで,このシソーラスがわたし的には結構おもしろい。
下の写真はその中身。中1で習うような単語の類語がイラスト付きで易しく解説してある。
見出し語は中1レベルだけど,類語の語彙レベルは結構高い。

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日本の子供たちは,こういった日本語の類語辞典などで勉強するだろうか。
話は逸れるが,ニュージーランドの「読解力」は,OECDテストで2000年3位, 2003年6位, 2006年5位である。



ついでに,最近手に入れた日本の本もいくつか集めてみた。
一部は出版社からいただいたもの。
一部は研究用。
一部は趣味!?
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左の「まんが公民」と「ニュージーランドエコ紀行」は,フィジーで読み終わったところ。
左手前の「ニュージーランドエコ紀行」は青柳光郎さんの著書で,ニュージーランド滞在中にうちに夕食を招待し,そのときこの本の初校をうちのPCでダウンロードさせていただいた記念すべき本である。
楽しく読ませていただいた。


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このなかで,久々の個人的な英語教材のヒットは,旺文社のダイアローグリスニングだろうか。
実はまったく同じような本を以前に企画して,出版社に送って返事待ちの間にこの本の存在を知り,いろんな事情から自ら企画を引っ込めることにした。
出版社は前向きに検討していただいていたようなので大変もったいないのだけど,慎重に決断した。
1年に1,2回アイデアを企画にするのだが,すでに類書があることは多い。
世の中そんなもんさ。

校正の仕事:補足

補足と言いますか,一部は言い訳なんですが。

昨日,ブログでさんざん校正の仕事について語りましたが,あまりよく知らない人は,じゃあ,も~さんは相当にいい原稿を書くんだと思うかも知れません。

ですが,それとこれとはちょっと違うんですね。
校正と執筆って結構違うんですよ。

人の原稿は何とでも言えるが,いざ自分がいちから書き起こすとなると,同じようにはいきません。
できあがった文字を見るのと,真っ白から文字を作るのでは,根本的に違うと言えばいいでしょうか。
そういう意味でも,執筆者・編集者・校正者のトライアングルが大事なんですね。

---- いや,ホントの話,執筆者(原稿)がよくても編集が悪ければ原稿も台無しになるし,
逆に,原稿がいまいちでも,編集者が良ければいいものができるんですよ。
そういう例をいっぱい見てきました。まだたかが10余年ですが・・・。
さらに,執筆者も編集者もいいのに,性格や価値観などちょっと相性が合わなければ,いいものはできないんです。

自分でも,原稿を書き上げて,何度も見直して,よし!
と思って提出しても,初校でゲラとなれば(組み上がれば),
たぶん,「校正者の目」に変わるんだと思います。

「えっ? この文章は自分で書いた?」

なんて,原稿を振り返ることも多々あります。

書き終わってからだいぶ月日が経っているときなんか特にですね。
その間にもいろいろ学んでたりするし・・・。

出版社内の編集者はほとんど執筆経験はないですよね(ここで言う執筆は,一部とかリライトじゃなくて,真っ白から全部書き起こすコトね)。
だから,担当の筆者が途中で修正入れると,原稿の質が悪かったんじゃないかと思ってるかも知れません。
まあ,それも一理あるんですけど。。。

逆に,筆者の中でもそういうことはあり得ないと思う人もいるかも知れません。
今までにほかの筆者の方の本を編集させていただいた中では,ほとんどの人が組み上がってからもいくらか修正されますが,ジャンルによってもありますかね。
教材なんかは,特に問題・解答解説系の本は,たいてい最後までなんやかや修正は残りますよね。

いずれにしろ,これからも,執筆者・編集者・校正者として,どれもまんべんなくするという方向で行きたく,それぞれの分野で学ぶことを別の分野で生かすのが目的と思っています。
ただ,数十ページ~数百ページのものを,「執筆」兼「編集」(自分で書いた本を自分で編集)は,いろんな意味でやっぱり厳しいかなという気はします。
一長一短ですけどね。

校正の仕事

校正のみの仕事をすると、たぶん担当編集者は、わたしの朱字・青字の量と内容(理由とか代案)で「ひぇ~」と思っていると思います。
過去に、最終段階でかなりの朱字を入れたとき、その次からはその版元からは初校段階で校正が来るようになりました。
原稿であろうが三校であろうが、「今更そんなに直せないよ~」という悲鳴が聞こえそうでも、とにかく朱入れます。仕事ですから。「甘い!」ものが多すぎて、見て見ぬふりはできかねます。
 
でも、例えば、著者の意見や信念、テイストがあるようなものはそれを変えて自分のテイストにすることはまずありません。それは校正者としての基本の一つです。
逆に、編集者に自分の原稿をそうされたときは精神的に参りました…。「あなたが著者ですか?」って思うわね。
でも、これも難しいところですね。完全放置(著者ワールドオンリー)もどうかと。「えっ? 修正なし?」-最後までアドバイスなし。みたいな。。。
すべて、「程度」と、筆者と編集者の「信頼」の問題ですね。
 
もう一つ、「(校了前だから)決定的な間違いのみお願いします」というのはいつも不思議です。
そんな校正の仕方って…。だって、「かなりおかしい! 直すべきだ!」と思っても書いちゃいけないかなって思わせてるじゃない?
とは言いつつ、出す側の立場になれば、「分かる!」なんですよね~。だって、細かいことは物理的に本当に直せないんだもん…。
でも、「決定的な間違い」なんて、人それぞれの価値観にもよるし、青字で書かれた修正が人によっては朱字相当に感じることもあるわけで…。
わたしなりの結論は、校正者に制限するんじゃなくて、朱字(+青字)の中から「決定的な間違いのみ」編集者が取捨選択すべき。
そして! (耳が痛いとは思えど)編集者にはその取捨選択すべき能力を持っているべき。なんですよね。
もちろん、中国語だの、数学書だの、専門書とかにはあてはまらないと思いますが。
 
わたしの場合、特にネイティブチェックに関してですが、とにかく朱字が多く、筋が通っている人に早い段階で出して、とかく原稿を尊重しがちだけど間違いは拾ってくれる人には最終で出します。
だって、ネイティブチェッカーの朱字を難なく取捨選択し、その修正の影響を加味して全体のバランスを調整できるくらいの能力があるのはネイティブだけでしょう。
 
実は、個人的には、執筆よりも校正の方が楽しいことが多いですね。
それを出版社で言うと、信じられへん~という反応をされますが。
分かる人には分かると思いますが、いわゆる、いや~な性格ですね。
 
ですが!
人の原稿を真っ赤にするわたし自身も、優れた翻訳者なんかに原稿校正を出したら、鋭いツッコミで痛い目に遭います。
 ツッコミマシーンにも上には上がいるってね。

例えば今日はこんなの。
 
Sorry, I'm late. 「遅れてゴメン」
 
オーケーですか?
 
→Sorry I'm late.=「遅れてゴメン」

詳しくは「ネイティブチェック21」へ!
 
 
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