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From New Zealand 2007年7月,ニュージーランドへ移住してきました。ニュージーランドでの日常生活についてつづります。

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will vs. be going to(長編)

ついに・・・
たまっていた「willとbe going toの違い」をわたし流にまとめました。どうにも納得のいかない中学英語の項目の一つ。わかりやすいように箇条書きにしてみました。が,まだ書き方が改善できるところもあるかも・・・。
解説の目線や例文は中学英語対象で,悪しからず。
 
will

意味は大きく分けて3つ
『話し手の予測』『主語の意志』『単なる未来』
 
『話し手の予測』
・訳は「~でしょう,~だろう」。e.g. John will come around two.「ジョンは2時頃に来るだろう」(話者がジョンが2時頃に来ることを予測している)
・天気のIt will rain tomorrow.など→普通,天気予報士の発言
・上記の例のように,主語が3人称の文が圧倒的に多い。
・1人称主語のI’ll~を「(わたしは)~するでしょう」とする訳は不適切である。「~するでしょう」は推量であり,「(必ず)~します」という自分の意志とかけ離れているからである。「~しましょう」と「~するでしょう」は似ているようで全然違う。たとえば,Do your best.と言われてI will.と答えるとき,「必ずそうします」という意味で,これがwillの原義である。I’ll do my best.は決して,「わたしは最善を尽くすでしょう」ではない。I’ll help you tonight.も「今夜あなたを手伝うでしょう」のような曖昧な意味ではなく,「今夜(必ず)手伝います」,「手伝いましょう」「手伝おうと思います」という「わたし」の意志である。
・ただし,1人称主語のwillに曖昧な意味はないと言えど,次のような文は例外である。I think I’ll meet John in Tokyo. / We’ll probably meet John in Tokyo. / I’ll go shopping if the weather is fine. なお,最後のような条件付きのwillでも,「行くつもり」ではなく,「天気が良かったら買い物に行きます/行こうと思います」でよい。
・3人称主語で「~だろう」にならない例。たとえば,He said he would go to the party.を「彼はそのパーティに行くだろうと言った」とする訳をよく見かけるが,直接話法で表すとHe said, “I will go to the party.”であり,「彼は『そのパーティに(必ず)行きます』と言った」,つまり「だろう」ではなく,「彼はそのパーティに行くと言った」が適切なはずである。
 
『主語の意志』
・敢えてwillの意味を書くならば,「(必ず)~します」「~しようと思う」。(「~するつもりだ」は後述)
・1人称主語のI will~は〈ふつうの意志〉と〈強い意志〉がある。
 
〈ふつうの意志〉
・「その場で生じた事態,状況に応じる話者の意志」を表す。
・短縮形I’llになる。I’llは決して「~するつもりです」という意味にはならない。
・3人称主語のwillを意志として使うことはまずない(He will visit ...→×「彼は~するつもりです」)。これはHe is going to ~で表す。
 
〈強い意志〉
・短縮形にしない。I will pass the exam.(willに強勢)「私は何が何でもその試験に受かるぞ!」くらいの意味である。
・教科書巻末リストや辞書に載っているwillの意味「~するつもりだ」は,肯定文ではほぼ使わないと思ってよい。強い意志がふさわしい文脈はかなり限られるからである。実際に辞書の用例文の訳に「~つもりだ」という言葉は現れない。
・ただし,主語が1人称の否定文,I won’t ... はしばしば強い否定の意志を表し,I won’t meet her.「私は(何が何でも)彼女に会うつもりはない」のように,「~するつもり」の訳が合う。
 
『単なる未来』
・willは単に「未来」のことであることを示す記号のようなもの。e.g. I’ll be 15 next year.(来年15歳になります)→「15歳になるでしょう」でも「15歳になるつもりです」でもない。単に未来のことだからwillを使っているだけのこと。
 

be going to

意味は大きく分けて2つ
『あらかじめ計画された予定』「~する予定です」
『主語の意図』「~するつもりです」
・文法問題などで文脈のないときでも,訳を使い分けたくなる。たとえば,She’s going to be a nurse.だと,「予定」ではなく「主語の意図」がより自然なので「彼女は看護師になるつもりです」としたくなる。一方,文脈がなくても文に具体的な「時」があるとき,飛行機や旅行などの内容のときは「~する予定です」としたくなる。I’m going to visit the museum tomorrow.(明日は博物館に行く予定です) もちろん,主語の意図と捉えても予定(計画)と捉えても自然に思える文はたくさんある。e.g. We’re going to have a party for John.
・主語が3人称だと,自分に関わる内容のとき「~ことになっている」という訳がしっくりくることも。Ken is going to come in the afternoon.(健は午後に来ることになっている)
・確定していることについて,It/This/That is going to be ~で「予定」でも「つもり」でもなく,「~になる」という意味がふさわしいパターン。e.g. It's going to be my first work.(それが最初の仕事になる),This is going to be our last wine.(これが最後のワインになる)
・ネイティブによるとIt’s going to rain.の意味は「雨が降りそうです」ではなく,この日本語に合う英語はIt looks like it’s going to rain.とのこと。
 

willとbe going to

・「予定」について会話するとき,What will you do this weekend?「今週末は何をするつもりですか」という英日の対応はおかしい。planについて話すときはbe going toを使う。
・ただし,「予定」を話すとき,すべてにbe going toを使うわけでもない。途中からはwillで表せる。例:
A: What are you going to do for the summer vacation?
B: I’m going to visit my aunt in New Zealand.
A: Sounds nice. How long are you going to stay? OR How long will you stay?(どのくらい滞在するのですか)
B: I’ll stay for a week.(1週間滞在します)→ 滞在日数は確定済みでも,willで表しても自然。

同じく,旅行などのスケジュールを"順追って"言うとき,途中からはwillで表せる。
例:I’m going to stay in New Zealand for a week this summer. On the first day, I’m going to look around Auckland City with my aunt. On the second day, I will go to Rotorua and see a Maori performance. It will be fun! → ロトルア滞在はスケジュールとして確定済みだが,willで表しても自然。「2日目はロトルアに行ってマオリショーを見ます。楽しいだろうな!」


最後に・・・
willとbe going toは入れ換えても大して違いのない文も確かにあります。しかし,日本人が書く文章では,正しく使えていない英文がとても多いです。わたしは幸い,繰り返しネイティブチェックを受けたことによって,今では中学英語でこの観点で朱字が入ることはありません。クライアントに「なぜここはwillではダメなのか?」と聞かれても,自然に使い分けているため,うまく答えられません。上記は理屈・理論・ルールかもわかりませんが,
自然な英文をひたすら読むこと・聞くこと!」
最終的にはこれしかないのです。
心苦しいですが,日本人が書いた文法書は相当細かいネイティブチェックを受けていない限り,”完璧”で”自然な”英文を使っているとは言い難いのです。また,ネイティブが書いた英米の文法書を読むと,各文法事項の例文チョイスに違いがあることがよく分かり,日本人の書く伝統的な例文に改めて気付き,興味深いです。


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"family"の使い方

familyは奥の深い単語です。ネイティブとのやりとりをいくつか貯めておいたのでここに記録しておきます。
以下,緑字がわたし,紫字がネイティブによるものです。

A: I'm looking forward to Friday.
B: Why?
A: My family is going to the beach. = Everyone in the family, including the speaker.
B: Sounds like fun.

A: Hi, Jack. Are you going somewhere on your summer vacation?
B: Yes, my family is going to Hawaii. = Everyone in the family, including the speaker.
A: Sounds like fun.
 
Man: I usually have lunch at a school cafeteria. But yesterday, I went to a Japanese restaurant with my friends. Today is my brother's birthday, so my family is going to an Italian restaurant for dinner. = Everyone in the family, including the speaker.
Q: Where is the man's family going for dinner today? (以上,英検の問題から)
In here, 'the man's family' includes the man as well, right?  Absolutely, yes.

But my dictionary (ジーニアス英和) shows an example sentence: 'All my family is [B.E. are] early risers.' and explains that: Usually, 'my family' doesn't include 'me'.
100% WRONG!  "My family" virtually always includes me. "My family and I are going to the beach" is technically not correct (although sometimes said). A person is so integrally included in the word 'family', that you have to forcefully separate yourself from it: "I went shopping while the rest of the family went to Disneyland." Note, a man can say, "I took the family to the beach," meaning he initiated the activity - since he still accompanied his wife and kids it would sound strange if he said, "I took the rest of the family to the beach."

結論:my familyは自分を含みます。

One other thing about 'family'. Most Japanese fail to realise that a 'family' has to include at least one child. If you're married but don't have children you're not a family, you're a 'married couple'.

ポイント:familyは少なくとも1人の子どもがいることが想起されます。

さらに,辞書の例文にもある,次のような"家族の人数"を言う文についても聞いてみました。

There are four people in my family.
Considering the low divorce rate in Japan, it’s surprising that Japanese insist on talking about the number of people in a family. In the English-speaking world we like to assume that a family has both a mother and a father, or at least did have at some point. Therefore we pretty much never say, “There are four people in my family.”

結論:英語話者は言わない。

ここニュージーランドでも,初対面の自己紹介などで,家族の"人数"を言うのを聞いたことがありません。また,中学英語でありがちな,How many people are there in your family?などと人数を尋ねることもないですね。たいていfamilyという言葉を使わず,Do you have any brothers or sisters? / Do your parents live in Japan?のように具体的に聞かれます。

Yes/No疑問文の真実?

久々に、中学英語でありがちな質疑応答例にツッコミを入れてみよう。
 
疑問詞疑問文
Where does he live? ―― He lives in North Shore.
 
間接疑問文
Do you know where he lives? ―― Yes, I do.
 
いやね、もちろんそうなんだけど、質問した人の知りたいことはあくまで「彼がどこに住んでいるか」。2つ目の「彼がどこに住んでるか知ってる?」は、あくまで「間接」的に彼の住んでいる場所を尋ねているんです。
だから、Yes, I do.「うん、知ってるよ」なんて答えたら、Where?「どこなの?」ってもう一度聞かなきゃならない。そんな会話、不自然ですね。
 
Where ...?と聞かれたら、Yes/Noで答えずに具体的な場所を答える。
Do you ...?と聞かれたら、Yes/Noとdoを使って答える。
 
初級ではふつうこのように学びます。
基本なのでこれはこれでいいんですが、実際の日常会話ではどれほどYes/NoクエスチョンにYes/Noで答えているか?ってちょっと疑問に思ったわけです。特に間接疑問文は今回の例文で言うとwhere he livesの部分がメインの質問ですから、Yes, I do. / No, I don't. のような応答はあまり役に立たないと思われ・・・。
ちなみに、今回の質問に対する応答はこんな感じ?
 
Do you know where he lives?
―― Well, maybe in North Shore. He says ...
―― Yeah, he lives near Albany Mall.
―― I don’t know. Why (do you ask)? ←要するに、No, I don’t.ということ。

中学英語の落とし穴10(like vs. such as)

likeもsuch asも「~のような」「たとえば」という意味ですが,常に置き換えられるわけではありません。

以下のような例文を作ってみました。

① I want a clever dog like Pochi in that movie.
  私はあの映画に出てくるポチのようなかしこい犬がほしい。

② I want a small dog such as a miniature poodle.
  私はミニチュアプードルのような小型犬がほしい。

どちらも「~のような」という訳になり,likeやsuch asの後は前のdogの「例」なので,一見,置き換えられそうです。
ですが,①の文ではsuch asを使うとおかしなことになります。

【ポイント】
like→exclude
such as→include

【解説】
①の「ポチ」は「かしこい犬」の例だけれども,映画の中の犬で実際に飼えないので,exclude(除外)→like になります。

②の「ミニチュアプードル」は「小型犬」の例で,飼えるので,include(含有)→such asです。
ただし,「ミニチュアプードル」は単なる例で,ほかの小型犬を飼う可能性もあるので,exclude(除外)→likeも可能です。

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この手の,日本語では同じだけれど英語では微妙な使い分けがある,というパターンは語彙にしろ文法にしろ,山ほどあると思います。

経験上,特定の単語や熟語を使った短い1文を書かせたとき,それらの単語や熟語がいかに自然な英文中に使われているかは,普段どれだけ正しい英文と接しているか,と比例します。

見た目同じ中学生用の文法教材でも,使われている英文をみたら,筆者の英語の運用力がわかります。
でも,残念なことに,消費者のほとんどはその英文の質を判断できずに買い,いわゆるtextbookyな英文で違和感なく学習しているのが現実だと思います。

英文を書く側でいうと,普段使わない語彙や熟語を使った英文を書くとき,恐らく辞書などをみるでしょう。
でも,いつも言いますが,辞書の日本語の意味や前後に文脈のない用例文という断片だけで判断し,さらに日本語の感覚で英文を作る,これがおかしな英文を生みだす理由の一つです。

今回のlikeとsuch asのようなパターンは,普段から「単語の日本語の意味」や「英文の日本語訳」にとらわれず,正しい英文に多く接して,知らぬ間に自然と使い分けている,結局はこれが理想なのかもわかりません。
でも,そんな場合でも,改めて理論を知ると知識が定着し,また英語が楽しいものになるでしょう。

わたしのような「なぜ」を説明しなければならない立場や仕事をしている人であれば,とにかく理論的な知識を増やすことが求められますが,この英文,なんかおかしい,でも理由はうまく説明できない,といういわゆるネイティブ感覚をどんどん身につける。ネイティブでない限り,恐らく一生続きますが,今のところこれがわたしの英語学習における必須条件の一つです。

中学英語の落とし穴10(to be OR to become)


I  want to be a doctor.
 My dream is to be a doctor.
 
to becomeとの違いを見てみます。

A: Why is he stduying so hard?
B: I hear he wants to be a doctor.
         ↓
B: I hear he wants to be become a doctor.

If you’re taking active steps, you’re "becoming'.
He wants to be a doctor’; but ‘He is studying to become a doctor’.

この解説を見ると以下のような修正理由も理解しやすくなります。

I joined the tennis team to be become a good player.
I go to tennis school to be become a good player.

Why are you learning cooking? ― To be become a chef.
Why are you practicing tennis so hard? ― To be become a good player.

中学の教科書本文はI want to be ~であり,また,I want to be~かI want to become~か? というトピックでネイティブの使用率を表したものもありますが,多い方を使えば安全,といった単純なことではなく,やはり英語は「文脈」だとわかる例だと思います。
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