校正のみの仕事をすると、たぶん担当編集者は、わたしの朱字・青字の量と内容(理由とか代案)で「ひぇ~」と思っていると思います。
過去に、最終段階でかなりの朱字を入れたとき、その次からはその版元からは初校段階で校正が来るようになりました。
原稿であろうが三校であろうが、「今更そんなに直せないよ~」という悲鳴が聞こえそうでも、とにかく朱入れます。仕事ですから。「甘い!」ものが多すぎて、見て見ぬふりはできかねます。
でも、例えば、著者の意見や信念、テイストがあるようなものはそれを変えて自分のテイストにすることはまずありません。それは校正者としての基本の一つです。
逆に、編集者に自分の原稿をそうされたときは精神的に参りました…。「あなたが著者ですか?」って思うわね。
でも、これも難しいところですね。完全放置(著者ワールドオンリー)もどうかと。「えっ? 修正なし?」-最後までアドバイスなし。みたいな。。。
すべて、「程度」と、筆者と編集者の「信頼」の問題ですね。
もう一つ、「(校了前だから)決定的な間違いのみお願いします」というのはいつも不思議です。
そんな校正の仕方って…。だって、「かなりおかしい! 直すべきだ!」と思っても書いちゃいけないかなって思わせてるじゃない?
とは言いつつ、出す側の立場になれば、「分かる!」なんですよね~。だって、細かいことは物理的に本当に直せないんだもん…。
でも、「決定的な間違い」なんて、人それぞれの価値観にもよるし、青字で書かれた修正が人によっては朱字相当に感じることもあるわけで…。
わたしなりの結論は、校正者に制限するんじゃなくて、朱字(+青字)の中から「決定的な間違いのみ」編集者が取捨選択すべき。
そして! (耳が痛いとは思えど)編集者にはその取捨選択すべき能力を持っているべき。なんですよね。
もちろん、中国語だの、数学書だの、専門書とかにはあてはまらないと思いますが。
わたしの場合、特にネイティブチェックに関してですが、とにかく朱字が多く、筋が通っている人に早い段階で出して、とかく原稿を尊重しがちだけど間違いは拾ってくれる人には最終で出します。
だって、ネイティブチェッカーの朱字を難なく取捨選択し、その修正の影響を加味して全体のバランスを調整できるくらいの能力があるのはネイティブだけでしょう。
実は、個人的には、執筆よりも校正の方が楽しいことが多いですね。
それを出版社で言うと、信じられへん~という反応をされますが。
分かる人には分かると思いますが、いわゆる、いや~な性格ですね。
ですが!
人の原稿を真っ赤にするわたし自身も、優れた翻訳者なんかに原稿校正を出したら、鋭いツッコミで痛い目に遭います。
ツッコミマシーンにも上には上がいるってね。
例えば今日はこんなの。
Sorry, I'm late. 「遅れてゴメン」
オーケーですか?
→Sorry I'm late.=「遅れてゴメン」
詳しくは「ネイティブチェック21」へ!