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From New Zealand 2007年7月,ニュージーランドへ移住してきました。ニュージーランドでの日常生活についてつづります。

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教材執筆者 VS 英文執筆者

 
ネイティブスピーカーはよくこう言います。
 
Context is everything.

「英語の意味の決め手は、結局ルールではなく、文脈である」
 
まったくその通りだと思います。
 
でも、教師として、教材を作っている立場として、このセリフが言えるならそんなに楽なことはない。
学習者はその「文脈」がわからなくて苦労することが多いのですから。
 
解説が全部「文意から、~~が適切。」でよいなら誰でもできる(笑)。
 
 
そして、英語ができる人ほど、できない人の視線で教材を作るのは難しそうだ、といえます。
TOEIC 990点の教材執筆が得意な人が500点用の教材を書くと、たいがい読者にとってちんぷんかんぷんな解説になる。
(「簡単ですね」なんて言葉さえ出てくる)
 
そしてその「できる人」の最終地点はネイティブです。
ネイティブは、例えば中学1,2年の英文は書けない(書かない)でしょう。
これまでの経験上、多少リライトして英検3級が限界。
能力的に書けないというよりも、制約に耐えられる人は珍しいでしょう。
特に文法面ではなく語彙面で。
 
 
さて。
 
日本人スタッフの中に、ネイティブに「ネイティブが書いたでしょう?」と言わせる英文、ネイティブのナレーターに「コロケーションがすばらしい。…こんな学習者にとって価値のある英文資料の録音に参加できて、とても感謝している」と言わせる英文を書く方がいます。
(いずれも大学で教鞭を執っているネイティブの方)
 
ネイティブも驚く四技能万能なバイリンガルです。本職は日→英の翻訳。
 
わたしより若いですが、わたしは勝手にその方をずっと目標としています。
が、悲しいことに今更バイリンガルにはなれません。
 
積み重ねしかないですね。

どれだけ英文を読むか。
 
どれだけ英文を書くか。
 
書いては直してもらう。
(書きっぱなしは上達しないので自腹でも見てもらう方針)

これを3年ほどくり返すうち、ようやく「きちんとした教育を受けたネイティブ並みの英文です」と言ってもらえるところまで辿り着いた。
 
今後どこまでのレベルの教材で自ら書き下ろせるようになるのか?
 
その闘いは今後もずっと、恐らく、一生続く…。


とまあ…、いろいろ英文ライティングについて最近書きがちなんですけど、

「英語教材の執筆者」

として個人的に最も嬉しい褒め言葉は、実のところ

「素晴らしい素材文ですね」

ではない。


「いい問題ですね」

がもらって嬉しいことば。


あくまで、良問・よく練られたと思うような設問を作るために素材文を書いているのです。
(素材文ありきの設問ではない)

ああ、また話が長くなるわー(笑)。

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久々に英英辞典購入

昨日、本屋で英英辞典を2冊購入。
わたしは普段、電子辞書(セイコーSR-G10000)を愛用していて、紙の辞書を本屋でペラペラめくって買うのは久しぶりで、やや興奮してしまいました(←ヘンなやつ)。
DSC01836.JPG












これらの辞書は年末ほのめかした、わたしにとってかなりchallengingな英語教材(著書)で使う予定。
昨年、また新たなアイデアをある出版社から拾っていただいて、さて、も~は今何をやろうとしているのか、乞うご期待!(期待している人いないって?)

ちなみに、昨年発売になった「すっきりわかる~」がお陰様で毎月一定の実売があるとのことですが、そのおニューな感じの教材(仮名:スパイラル学習法)が、大変幸栄なことに、つい先週,(別の出版社になりますが)このメソッドを使った一般人向けの教材(2冊)を出したいとご連絡頂戴しました。
このメソッドについては、学参→一般語学書、のプランは、もう何年も前から頭にあって、ここにきてようやく実現です。
どうぞ、運のいいヤツ、と言ってください。
あとは、いかに今までの経験を出し切れるか、という期待とプレッシャーのみです。

そんな感じで・・・、今年は1月から意外な方向へ進んでいます。
学参の改訂作業の予約もありつつ、プレッシャーにめちゃめちゃ弱いも~は夏頃にはぺっちゃんこになっているかも…!?

教材作成者の知識は十分か?

ある中学教材の対話文で「会社名」をthe company nameと書いたのですが、複数の日本人校正者から、the name of the companyまたはthe company’s nameではないか?という指摘があった。
 
確かに中学では「名詞+名詞」を「文法」として取り上げないかも知れない。
でも、summer vacationやtelephone number、picture book、cake shop、sushi restaurantなどは中学レベルと判断されている。
境界線はどこにあるのか?
今回はcompanyを注釈で「会社」としていたのもポイントだったかも知れないが、わたしがもし校正側で中学生に分かりやすくすることが前提なら、「英文を尊重」して、注釈をcompany name「会社名」とするか?という指摘チョイスもあったと思う。
 
これに限らず、指摘は執筆者に大きな影響を与えています。
書き方次第で、相手に知識不足と誤解されず、逆に「お主もなかなかやるのう」と思うこともあります。
 
今回の指摘内容が知識不足によるものかどうかは別として、
「中学英語に凝り固まっている指摘」
が本当に多い。
 
でも、わたしも過去に幾度となく知識のなさをさらけ出していたに違いない…。
不幸なことに、校正者というのは、指摘自体の誤りや思い込みなどにフィードバックがないため、いつまでも自分の知識不足に気づかない。
さらに編集者が知識不足による校正者の朱字をご丁寧に全部反映してくださる。
 
一方執筆者は、書く内容の知識があることは当然のことで、執筆者としての責任です。
あるイベント報告の記事を書く仕事を受けたなら、執筆者はそのイベントの歴史から事実確認まで隈無く調べる責任があるのと同じです。
知識不足の執筆者はあり得ないことは大前提であり、わたし自身も含めて執筆者は常に知識を増やす向上心をもっているのは当然のことです。
 
しかし執筆者も人間ですから、文字や内容に間違いを犯します。
そこで、誤りを探して正す「校正者」が必要なわけです。
問題は、その校正者の指摘・朱字が間違っている、そして編集者もその判断ができていない、最悪なパターンは執筆者が知らない間に原稿が化け物化している、という事態が珍しくない中学英語教材作成業界…。
 
作成に関わる全員の知識量の底上げ、作成過程などをもっと真剣に考え、改善する必要があると、わたしは思います。
 

名誉な仕事

同じ業界でもやりたい仕事、名誉な仕事って人それぞれだろうけど、わたしにとってこれはずーっとやりたいと思っていた、いわばあこがれの仕事でした。
こういうのって、もう納期や報酬がどうこうの問題ではないですね。
やらせていただけるだけで・・・の世界。

昨日、いきなり執筆の依頼が自宅に文書で届きました。
記事で執筆より校正、と書いた直後のことで、早速矛盾…。
メールでも電話でも前触れなしで、いきなりニュージーランドにこのように依頼のお手紙が届いたのは初めてで、ちょっと感激。
(途中で紛失になっていたら…恐ろしや)

また、珍しいものが同封されていました。
DSC01791.JPG












返信用切手で、郵便局に持っていったら各国の切手と交換できるらしい。
恐らく、日本国内の執筆者さんには返信用封筒・切手を同封することになっていて、わたしだけ海外だからなし、というわけにはいかなかったのでしょう。
その気遣いにも感動です。

抱負(仕事面)

さて、そろそろ世間は仕事が始まっていますね。
我が家も夢のような夏休みを終え、昨日からスタートです。

さて、ブログでも何度かほのめかしているのですが、実のところわたしは執筆よりも校正が好きです。
たまたま執筆のお仕事の方が多いのであって、もっと校正したいなあ・・・という状態です。

特に昨年は、中学英語の執筆で特に外部からの圧力による行き詰まり・ストレスを感じました。
もちろん、中学英語の執筆はわたし自身の仕事の大部分を占めるので、わがままは言ってられないのですが、ちょうど、大西寿男著「校正のこころ」という本を読んで、やはり自分は校正の仕事がむいているかなあ・・・と自覚しました。
本書の一節より。
「校正者はみずから新しく何かを生みだすのではなく、あくまで著者の創造物が完全なものとなるよう援助する」

新しく何かを生みだす立場としては、機会を与えてもらえる間は精一杯応えたい。
でも今年は、学参もそれ以外も校正の仕事をもっと真剣に考えたい。
不景気の中、外部校正を削減する傾向にあると聞きます。
「料金はこだわらず、誤りのない本作りにこだわる」
というモットーでいきたいと思います。
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