ある中学教材の対話文で「会社名」をthe company nameと書いたのですが、複数の日本人校正者から、the name of the companyまたはthe company’s nameではないか?という指摘があった。
確かに中学では「名詞+名詞」を「文法」として取り上げないかも知れない。
でも、summer vacationやtelephone number、picture book、cake shop、sushi restaurantなどは中学レベルと判断されている。
境界線はどこにあるのか?
今回はcompanyを注釈で「会社」としていたのもポイントだったかも知れないが、わたしがもし校正側で中学生に分かりやすくすることが前提なら、「英文を尊重」して、注釈をcompany name「会社名」とするか?という指摘チョイスもあったと思う。
これに限らず、指摘は執筆者に大きな影響を与えています。
書き方次第で、相手に知識不足と誤解されず、逆に「お主もなかなかやるのう」と思うこともあります。
今回の指摘内容が知識不足によるものかどうかは別として、
「中学英語に凝り固まっている指摘」
が本当に多い。
でも、わたしも過去に幾度となく知識のなさをさらけ出していたに違いない…。
不幸なことに、校正者というのは、指摘自体の誤りや思い込みなどにフィードバックがないため、いつまでも自分の知識不足に気づかない。
さらに編集者が知識不足による校正者の朱字をご丁寧に全部反映してくださる。
一方執筆者は、書く内容の知識があることは当然のことで、執筆者としての責任です。
あるイベント報告の記事を書く仕事を受けたなら、執筆者はそのイベントの歴史から事実確認まで隈無く調べる責任があるのと同じです。
知識不足の執筆者はあり得ないことは大前提であり、わたし自身も含めて執筆者は常に知識を増やす向上心をもっているのは当然のことです。
しかし執筆者も人間ですから、文字や内容に間違いを犯します。
そこで、誤りを探して正す「校正者」が必要なわけです。
問題は、その校正者の指摘・朱字が間違っている、そして編集者もその判断ができていない、最悪なパターンは執筆者が知らない間に原稿が化け物化している、という事態が珍しくない中学英語教材作成業界…。
作成に関わる全員の知識量の底上げ、作成過程などをもっと真剣に考え、改善する必要があると、わたしは思います。