帰国したとき、いつも仕事と私生活でお世話になっている近所のHさん(おばあちゃん)に渡すお土産として、母が趣味で作った小物入れやかばんを持って帰ってきました。
Hさんはとても喜んでくれて、母にお礼の手紙を書きたいと言いました。
昭和11年生まれの母ですが、ああ見えても関西学院短期大学(当時)の英文科卒業なのです。
(ちなみに関学の聖歌隊に所属)
まあ、会話はできなくても、読めるかも知れない、喜ぶと思います、と言って住所と名前を伝え、Hさんは直でが母に英語のカードを送りました。
母からカードが届いたとの電話があって、「読んで?」って言ったら、これがまあ、しっかり詰まらず読めているのです。
発音も通じるだろうレベルで悪くない。=私と変わらん(泣)。
母の口から英語を聞くのは初めてだったので、結構驚き。
意味も「まあ、わかるよ」とのこと。
(言っても、中学レベルの英語ですが)
でも、読めるけど書けないとのこと。
もちろん、当時の英語教育を想像すると、会話もダメ。
母は姉兄のお産で何回もアメリカに飛びましたが、一緒に行ったことはなかったので、どれだけ英語ができるか知りません。
スーパーでマーガリンを探してて、発音が「マージリンン」でわからんかった!なんてエピソードはいくつか覚えています。
どんなふうにコミュニケーションとっていたのかなあ。
典型的な関西のおばちゃんみたいに、英語と日本語のチャンポン+ジェスチャーで乗り切っていたのかなあ。
それとも、わからんくてもYesYesって言ってたのかなあ(笑)。
母の違った一面を見て不思議な感じがしました。
補足:
関学の短大は数年間だけ存在したようですね。
英文科は定員100人で、うち、女子は母ともう1名の、たった2名だったそうです。
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