先日の記事の「インド(英語)」の話を書くかどうか迷っているうちに,夫が自身のブログであっさりとまとめてくれたので,土下座して文章を借りました。
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インド人の英語、難しいですよね。
発音が独特で、私は聞き取るポイントが未だつかめません。
今はインド関係の仕事を手伝っているのですが、本当に四苦八苦しています。
昨日、日本から英語関係の仕事をしている友人がNZに仕事できていたので、我が家でBBQの夕食。
何故かその場でインド英語の話になりました。
(その友人のパートナーがリチャードさんで,前述の元気イングリッシュ!の方)
私たち日本人は、アメリカ英語もしくはイギリス英語を学ぼうとしますが、インド人はそれらではなくあえてインド英語(強いインド・アクセントの英語)を必ず勉強するそうです。
理由1: 絶対的な世界基準となりうる英語は存在しない
理由2: そのなかで、アメリカ英語・イギリス英語に比べ、インド英語は人口比で見ると、地球上で圧倒的なシェアを誇る(約11億強の人口)
理由3: 彼らが世界でビジネスを行うに当たり、アメリカやイギリスを相手にするよりインドもしくは在外インド人にフォーカスした方が大きなビジネスチャンスとなる。そのためにはアメリカ英語やイギリス英語よりも、インド英語を使いこなす方が可能性は遙かに大きい
ふううむ、今まで米・英ばかり考えていましたが、数で言うと確かに印は膨大なマーケット。
彼(=リチャードさん,イギリス人)は英語のテキストを作り、インドでそれを売っているそうです。
最近では約90,000の小学校にテキストをおろしたそうです。
9万人じゃないですよ。9万の小学校。
生徒が何人各学校にいるかわかりませんが、とてつもない数です。
ふぅぅむ、とんでもないマーケット。
方や日本は人口が減っていく一方。
確かに今の日本は技術力や購買力が他国より勝っているので先進国としての地位をなんとか維持していますが、これから数十年先はどうなんでしょうかねぇ。
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リチャードさんは日本の小学校英語業界で活躍されている方ですが,インドやドイツなど,世界中の国へ飛び回っていて,住所は愛媛で定住地はない様子。
そういう目線の方が日本を語るとき,
「日本人は(英語学習において)競争心がなさすぎる」
と言う。
わたしとしてはショッキングな話でした。
これでも近年は小学校での英語科目や,高校での「英語で英語の授業を」,大人も「やり直し英語」という言葉があるほど頑張っているように見えるからです。
ですが,こうやって他国の方が日本を客観的に語るときの言葉には説得力があります。
海外在住であったとしても所詮,自分は日本人として日本を見ているんだ,と実感しました。
彼の話は自分の仕事にも大きく関わるし,その後いろいろ考えさせられ,夜も寝付きが悪いほど…。
ちょうど,特に昨年,
「中学英語の仕事はもう限界かな…」
と感じ,引退?したいと思ったことが3回くらいありました。(経歴としてはまだまだ今からなのですが…)
リチャードさんが部屋に来たときに教科書(全18冊)を見て,
リ「どれが一番いいと思う?」
も「一番売れているこれがまあ無難でいいと思うけど…」
リ「それは好きなのか?」
即座に答えられない自分がいました。思わず,
も「わかるでしょ,ここに住むようになってからは…」
リ「そうだろう,そうだろう」
う~ん,リチャードさんも日本の中学以上の英語教育に思うことがあって小学校英語をされているのかな…と想像する。
しかも,ちょうど英語オンリーで教材を書き始めたばかりのタイミングだったので,今後,視野を広げて別の方向性も考えた方がいいのかな…と考えてしまう。
「競争心」の話も考えさせられました。
日本は他のアジア諸国より先立って「すごく頑張った時代」は過ぎ,豊かな(豊かすぎる)時代に入り,英語が話せなくたって平凡に・幸せに毎日過ごせます。
一方,インドを始め,他のアジアは今頑張っている時代であり,生活・人生がかかっています。
ここニュージーランドでもインド人は多いですが,彼らは永住権をとるのに必死です。
ここでは永住権を取ったら家族も連れてくることができます。
インド人や中国人は永住権を取ったら自分の国の家族をどんどん連れてきます。
彼らは自分の人生・家族の人生を背負って必死なのです。
一方,日本人は,家族にとっては生まれ育った,言葉の通じる日本で暮らすのが幸せなわけで,家族をよぶことは普通はありません。
しかも,自分も含めて,移住の理由の多くが,「癒やしを求めて」「より人間的な生活がしたいから」「大自然の中で暮らしたいから」「アウトドアスポーツ・釣りが好きだから」とか…,必死な彼らと比べたらなんとも平和でのんきで贅沢な話です。
でもだからと言って別に日本(人)がおかしい・悪いわけではなく,リチャードに会う日までは,日本人は日本人,インド人はインド人,中国人は中国人で別にいいんじゃない?と思っていましたが,
「いや,マジメな話その意識ではアカンかも…」
と思わずにはいられない体験も続きます。
たまたまTVでCNNをつけたとき,一瞬だったので詳細はわからないのですが,インドの(それほど裕福には見えない)子供たちが,恐らく小学生くらいですが,バンク・マネジャーになるための授業?訓練?の様子が映っていました。
指導者らしき大人は,「この訓練は彼らの将来のためになると思います」と。
子供たちは実際にコンピュータや帳簿を使って作業をしていて,横には順番待ちと思われる子供たちが。
一方,日本のTVをつけると,さんま○○の「BAKA-1」です。
楽しみで見ている番組の一つですが,さすがに今回は笑えなかったです…。
じゃあ何をどうすれば…?
わたしでも何かできることはある…?
すぐには答えが出ません。
まず,危機感のない集団に危機感を持たせるのはそう簡単ではないだろう,と直感しました。
英語で言えば,仮に,全世界中の英語力を正確に測る試験があったとして,万一日本が最下位だったとしても,関係者はかなり焦ってあれやこれやと対策をするでしょうが,当の子供や学生は,大人に
「日本の英語力が大変なことになっている。君たち,もっと危機感を持ちなさい」
と言われたところで,彼らには何の実感もないでしょう。
戦争や地震,さらには病気もしかり,実際に体験して初めてその大変さ・辛さがわかることで,誰だって未知のことに対してどう動くかは難しいし,平凡に暮らせている間は,どれだけやる価値があるのかわからないことに頑張ったり,努力をしようと思ったりしません。
ある英語教育の情報誌を通じて,日本の先生方は本当に大変で,一生懸命に頑張っておられると実感し,心から応援したい気持ちでいます。
教育の話で必ずと言っていいほど出てくる話題が,「自立学習をさせるには…」です。
これは,生徒たちは自立して学習しない(できない)ことが前提,つまり勉強は受け身で「させらされて」いる状況で使われる言葉です。
自立しないと周りに置いて行かれて生活・人生に関わると,子供でさえ本能でわかっている状況では使われない言葉です。
今回のことを通じて今の日本の教育状況を改めて見ると,「学ぶ」ことに貪欲ではない生徒たち,「学ぶ」必要性に実感がない生徒たちに,
「いかにしてやる気を持たせるか」
というレベルだということがわかりました。
長々と書いてしまいました。
後半は結局何が言いたいのかよく分かりません。
目の前にあることをこなすだけで毎日が過ぎていってしまう上,特に最近は気持ちの整理がついていけないほどのスピードで,いろんなことが起こり,出会いがあり,モチベーションを上げてくれる仲間があり,考えや価値観がどんどん変わるように感じます。
その時何を考えたかを改めて文章に起こすとすっきりします。
さてと,これで肩の力を抜いて,今後も,今まで通り,外から日本を見つつ,自分のすべきことは何かをつかんでいきたいと思います。
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