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From New Zealand 2007年7月,ニュージーランドへ移住してきました。ニュージーランドでの日常生活についてつづります。

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波瀾万丈兄弟姉妹物語

今日,大阪の母から電話があり,電話の目的は送る荷物の話だったんですが,お決まりのように兄の話になり,どうやら彼はフィールズ賞(=数学のノーベル賞)の森先生率いるK大の研究室で4月から研究に参加(?)するらしいです。

彼はT大を蹴ってK大に入学した人物で,小さいときからやっぱり人と違っていました。
アメリカで長年数学を(英語で)教えるという経歴を持っていたり,最近の話では,カナダでの大きな学会で,聴衆として出席したのに,トリの先生が欠席し,急にその代わりに研究発表を頼まれ,何の準備もしていなかった兄の発表の後,「君の発表が一番おもしろかった」と評価されたり,まあそんな人物です。

とにかく,彼は自分の母校で研究することが決まり,さぞかし喜んでいるに違いありません。
そして,これまであまり大げさに関心を持たなかったうちの父も,自分の母校であり,後輩だからか,息子のそういう姿に(珍しく)喜んでいるようです。
顔には出さないと思いますが(笑)。
わたしも本当にすごいと思うし,彼の将来が楽しみです。

わたしは3人の年の離れた末っ子です。
中学3年のときに,姉がアメリカに渡りました。
忘れもしない終業式の日でした。
お昼前に学校から帰宅し,母が「大変や!」と慌てていました。
わたしたち家族全員,姉が日本を発つその日に初めてそのことを知ったのでした。
(父は仕事に行っていたので,父にとっては,帰宅したらすでにいなかったことになります)

その当時は海外に住むなどまだ珍しいことだったし(正確には,周りではいとこの姉が初めでしたが),急にそんなこと言われて訳わからず,とりあえず母と空港まで見送りに行き(当時は関空がなく,伊丹だったかと),とりあえず「ボストンのバークリー音楽大学というところに通う」とだけ言い残し,飛び立っていきました。
帰宅後,「ボストン? ボストン? ボストンってどこ?」と大パニックでした。
それ以来姉はずっとアメリカです。

そのころから姉と兄の波瀾万丈な人生を見ており,家にお客さんが来たり,旅先での宴会なんかでは,母は必ず「その場にいない」姉と兄のハプニング話でみんなをびっくりさせ,わたしもそれに便乗したものです。

でもそういった裏で,ずっと,「わたしは自分の話題はないなあ」と無意識に感じていたのでしょう。
結婚の数か月前だったか,ある日今の夫が家に遊びに来るというその日,わたしは母にこう言った記憶があります。

「お姉ちゃんやお兄ちゃんの話はもういいよ」

でもわたし自身,今でも彼らの話は初対面の人とかにもよくするし,こうやってブログにも話題に出ます。
自覚はないですが複雑な心境なのでしょうか。
末っ子にありがちな「いつかビッグになる!」という闘争心と,兄や姉を誇りに思う気持ちと混乱しているでしょうか。

電話で,「また教えて。お兄ちゃんの話を聞くと自分もがんばらなあかんって思うわ」と母に言いました。
その言葉に裏はなく,正直な気持ちでした。

そして母は何と返したか。

「あんたはがんばらんでいいよ。がんばりすぎや」

そうなん?

電話を切ったあと,しばらく考えてしまいました。
がんばりすぎてる?

確かに人生の山と谷も知り(今は山です),ここ数年は仕事が忙しいのは言ってるけど,姉や兄が今まで(アメリカで)どんな苦労をしたか,そんなことに比べたらわたしの(ニュージーランドでの)生活なんて何と楽なことか。

恐らく,母は「仕事ばっかりせんと,家のことちゃんとしてるの? 子どもはまだ?」という意味で言ったんだと思うのですが。

話は少し逸れたけど,要するに,兄もこれからいろいろありそうです。
みんなで温かく見守っていきましょう!

P.S. 大学を移るというわけではないようです。
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