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From New Zealand 2007年7月,ニュージーランドへ移住してきました。ニュージーランドでの日常生活についてつづります。

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あなはできますか?「3くばり」

人は,ある程度の月日の間,何かに夢中になりすぎているとき,または何かに拘束されているとき,まわりのことを見過ごしがちになる。

自然なことだが,手遅れになる前に気づかなければならないことはあると思う。

毎日帰宅の遅い「夫」は,妻の異変・母子の問題に気づかないかもしれない。

毎日仕事と家事に追われる「妻」は,夫の体調の異変に気づかないかもしれない。

毎日仕事と家事に追われる「母」は,子どもの異変・傷ついた心に気づかないかもしれない。

いくら忙しくても,あらゆる警告サインは見逃してはいけない。

「目くばり」

「気くばり」

「心くばり」

これをわたしは「3くばり」と呼んでおり,いつも心に留めておきたいと願う。

小学校のときの非常勤の先生の教えである。

そんな簡単なことではない。
たいていの人は忙しいとき,自分のことで精一杯である。

しかし,手遅れになってはじめて気づき,一生自責の念にとらわれ,後悔し続けるのだけは避けたいものである。

今日も母のことばが脳裏をよぎる。

「何事もほどほどに^ ^」
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人の神経はゴムに似ている

母親の教えより心理・哲学第1弾。

「人の神経はゴムに似ている」

ゴムは伸びたり縮んだりして初めてゴムの役割を果たす。
たいていの人は、無意識のうちに神経を使っては休め、使っては休め、と上手く生活している。

でも、たまに必要以上に伸ばして、緊張が高まり、ちょっとしたきっかけや気持ちのゆるみによって、片手からゴムを離してしまうことがある。
離した瞬間「あっ!」と思うが、ゴムはもう止められず、一瞬に縮んでしまう。
そうすると、もう片方の手にゴムが当たり痛い思いをする。
本人が痛いだけならましだが、近くにいる他人をも痛めるかもしれない。

そしてさらに、人はたまにこれ以上伸びないという状態まで伸ばし、そのまま放置すること、またはせざるを得ないこともある。
その状態が長時間あるいは長い月日が続くと、そのゴムは一生もとに戻らない。

ゴムとしての一生を終えることになる。
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